旧大戸家住宅は、現在の白川郷集落から約10km南に位置する御母衣字上洞にあり、御母衣ダム建設(電源開発)の際に集落が離散し、保存管理が困難であったものを、保存展示するために解体移築したもので、天保4(1833)年から弘化3(1846)年まで13年をかけて建造されものと「棟札」に記録されています。
間口24.96m、奥行き12.27m、建坪251,337㎡の切妻茅葺き合掌造りで、昭和31年6月28日(文化財保護委員会告示建1367号)に国指定重要文化財に指定されています。
また、昭和37年3月30日付け文化財保護委員会地文建第25号により、現有地に移築を許可され、同年7月に文化財保護委員会の技術指導のもとに移築工事に着手、翌38年3月に完成しています。
なお、建物に附随している「棟札」には建造された期間や作業にあたった職人や家族の名前が記されています。
(棟札は、旧大戸家住宅玄関(土間)に展示)
白川郷一円の民家は、南部の荘川地域は飛騨高山の系統に属し入母屋形式が多く、白川村及びその以北は主に切妻作りで、越中の職人によったものが多い傾向です。
旧大戸家住宅もこれらの手によって造営されたことは棟札により明らかです。また、造営時の家族は19名を数え、その内3分の2が女性で、その身分は明らかではありませんが養蚕を営むには好都合であったといわれています。
旧大戸家住宅は、平沢勝栄氏(衆議院議員)の生家でもあります。
旧大戸家住宅に附属する板倉は、御母衣遠山家(重文)のものを同時に移築したもので、この建物は文化7(1810)年の造営に成る3間4面の総釿ばつりの板倉です。
1階の柱には「文化七加能ゑ(注:庚)午年三月朔日 大工 伊八 定八」の墨書が、2階の窓の板戸内側には「弘化三ひのゑ馬年十月やねふきかえ仕也」の墨書があります。
「旧遠山家住宅板倉」は、1810年に建てられた木造倉庫。板で壁を二重にしているため板倉と呼ばれています。1963年に「旧遠山家住宅」(1971年に国重文に指定)の倉として白川村御母衣にあったものを移築しました。
2階の床板と横木が1階の天井となっている「根太(ねだ)天井」で、養蚕農家の建築様式を伝えています。
また、1階の壁の柱には「文化七加能ゑ(注:庚)午年三月朔日 大工 伊八 定八」の墨書が、2階の窓の板戸内側には「弘化三ひのゑ馬年十月やねふきかえ仕也」の墨書があります。
桁行 | 5.454m |
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梁間 | 4.545m |
軒高 | 2.580m |
棟高 | 6.060m |
平面積 総面積 |
49.576㎡ |
「旧岩崎家住宅主屋」は、江戸中期の建築で、本を伏せたような屋根の形である切妻造り茅葺。
木造1階建てで屋根裏にも部屋があります。
世界遺産の富山県南砺市の五箇山から、1968年に移築しました。
白川郷の合掌造りは、屋根の三角部分が側面になる「平入」であるが、この建物は三角部分が家の 正面になる「妻入」であり、五箇山の伝統的な合掌造りといわれています。
桁行 | 16.715m |
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梁間 | 9.144m |
軒高 | 2.87m |
棟高 | 8.905m |
平面積 総面積 |
238.402㎡ |
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